朝ごはんに、肉まんがあんまんか聞いてしまうくらい血の轍の世界観にはまってしまった。
ちなみに自分の息子の肩に手をかけて「静ちゃん」と言うのもやってる。
旦那が押見修造の「血の轍」を読んでいて、毒親の話ということだったので、
冬彦さんみたいなやつ?と安易な考えだったが、全く描写が深めな侮れないやつで、
冬彦さんはマザコンエンターテインメントだと思った。
初めはとにかく何かが起こりそうな感じに引き込まれて、
途中から夢と現実の描写が曖昧になって母親のことが可哀想にも思えてくる。
ここまでは抑圧しないにしても親は無言の圧力をかけている。
親は子供の成長についていけなくて3歳くらいまでの自分とくっついていた記憶の心が大きくて
子供の成長に親の心が追いつかないところが自分にもあると思うし共感できる。
それと同時に親から執着されている子供のアイディンティティと
母親を思う気持ちの揺れが苦しいくらいに描かれる。
だから多かれ少なかれ誰もが経験している共感できる作品だなと思う。
自分も子供を産んで母親になった瞬間は嬉しいという気持ちより
どうしようという気持ちが強かった。
自分に全責任がのしかかる孤独にただただもがくしかなくて、
ほんと赤ちゃん放棄した親とかのニュースは簡単にだめな人とか思えなかった。
だからこの毒親の静子の孤独が痛いほどわかる、
何もかも捨てたくなるめんどくさくなってしまう気持ちと
自己反省する気持ちと子供を愛しく思う気持ちがぐちゃぐちゃになる。
それと同時に静一の親の目を気にしてしまう気持ちもわかるのだ。
親の思いに対して逆らうことは最大悪いことのような呪縛に私も最近まで駆られていた。
しかし最近は親の意見もまあ聞くけど
自分の意見で自分自身の道を歩むことに決めたからそれでだいぶ心が楽になった。
12巻くらいで息苦しくになるけど、
たぶん作者も暗闇の中で相当気持ちを擦り減らし魂が浮遊している様子が伝わるけど
15巻くらいから落ち着きを取り戻し生活に向かっていく様子にほッとした。
親の体調悪い時に肉まんだすシーンがなんとも肉まんが感慨深いものになるシーン
自分が今、介護に向かっていることも何らかの感慨深さを認識する
繋がっていると感じる作品となった。
夏の暑い日に読んだ。


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