さっちゃんが入院してちょうど一週間がたつ。
ここ最近毎月のように
原因不明の発熱が起きていたが
なんとなく回復していた。
ご飯を食べた後つらそうに寝転んでいたが
胃を休めるためだと思っていた。
しかしそれは
肝臓に結石があり胆管に炎症が起こっていたためであったんだとわかった。
病名は
総胆管結石、胆管炎とのことだった。
5月3日から発熱、だんだんと動かなくなってしまっているので6日に救急車を呼ぶことにした。
さっちゃんは「また迷惑かけてごめんね」
と言っていた。
次の日に内視鏡で処置とのことだったが
胃がんで胃を全摘していたさっちゃんは
お腹の中の構造が通常と違うようで
近くの病院では処置できないと言われた。
そしてこの処置をしないと今後ごはんが食べられないとのことだった。
内視鏡の設備とスペシャリストがいるという
川越の病院へ転院することになった。
私も不安でいっぱいになった。
今まで脂っこいものとか
量を食べさせ過ぎていたかなと後悔した。
救急車でサイレンを鳴らしたまま
ノンストップで転院先へ行くことになった。
旦那と私とさっちゃんが同乗した。
さっちゃんに病院で過ごしたことを尋ねると
「知ってる人いないから寂しい」
と言っていた。
外はとても晴れていて
車は止まらずに走りだしている。
サイレンも止まらずになるけど
それが意外と心地よくなっていった。
さっちゃんはいつしか目を閉じて
寝ているようだ。
肌がいつもより透き通っているように見えた。
それでいて髪の毛がバサッとしていて
なんだかもう神様っぽくみえた。
見たことはないけれど。
赤ちゃんも天使に見えるけど
高齢者も何かがみえるような様子がある。
旦那はお母さんの手をずっと握っていた。
このまま
何もかも終えられたらという気持ちに
させられるような心地よい空気になった。
でもなんとなくまだ始まったばかりのような
気持ちもある。
「寝てるのは楽だ」とよく言うさっちゃん
楽にさせたいという気持ちと
もうちょっと元気に過ごして
ほしいという気持ちと
それはこっちの勝手な思い込み
なのかな。
医療でいまは長生きするけれど
それはどこまでするものなのかとの疑問と
今までのことを思い出し
ごちゃまぜの涙がでた。
そんな気持ちになったのは入院してすぐに
ドクターや看護師から
「超高齢で今は落ち着いているけれど
万が一のことがあるので延命治療どうしますか?」
って朝ご飯どっちにする?みたいに
会うたびに言われいて
その度暗くなって
旦那とどうしようかと話していたのだ。
一生の終わりについて考えることは
簡単ではないと思った。
しかも自分ではなく家族のことだ。
友達や親戚に電話してきいたり
ネットで調べたりした。
少しでも生きることができるなら生きていてほしいという気持ちは家族にも本人にもやはりあるとは思う。
だけど
延命しても数週間くらいしか
生きることはできないらしい。
その処置は
心臓マッサージでは肋骨が折れるかもしれない。
人工呼吸器をつけるのに切開したりで
多分痛みを伴うことになるだろとのことであった。
延命するのであれば
明確な意味を考えることが必要だった。
そして本人の意志を聞くこと。
本人の年齢を考えさらに弱っている状態だともう聞くのはかなり忍びない。
転院先につくとかなりバタバタしていたがなんとか手続きなどが終わった。
その2日後に面会に行くと
座位がいま本人がしっかりしてないから
できないとのことで
面会できないといわれた。
交渉して
自分の携帯を渡し旦那の携帯と通話して
話すことだけはできたが
だいぶ元気がなく
とりあえず内視鏡終わったらごはん食べられるようになるからとは伝えておいた。
コロナ後から入院など面会がかなり厳しくなっているのでなかなか会えないから入院はコロナ前と全然違う。
帰宅して
福島の双葉町の
さっちゃん妹の旦那さんと久々に話した。
妹は10歳ほど年下だが
さっちゃんより認知症か進んでいるようで
心配度が高かった。
その妹は気がつくと頭にたわしを乗せたりしていて美容院の接客ができないとかで
廃業したと言っていた。
なかなかの話だ。
いわきの高級車たくさんの話になり
聞いたことがあったが事実とのことだ。
でもそれってなんだか誰もが
複雑な気持ちになる出来事だ。
それを聞いていた息子が
「みんないろいろあって大変だね」
と言い出した。
そして息子の仲の良い子も中学で
2人不登校になったから
なんとなくいろんなことに
不安になってしまうんだといっていた。
でも話す相手がいて話せることで
少しでも気持ち楽になるんだよ
とはいっておいた。
私も次の日にさっちゃんの今後について
どうケアしていくかをケアマネさんに相談した。
ケアマネさんは仕事続けられる設定で考えてくれたが
自分的には現仕事は介護しながらだと難しいから、介護しつつできる仕事に変えたいとは思っていた。
それであれば退院時に病院の相談員の人やもちろんケアマネにも相談できるとのことだったので
状況に応じて対応しましょうと言われた。
でも自分がどこまでできるのであろうかという不安が常にある。
兄と兄の奥さんにも連絡はしておいた。電話はずっと出ないのでショートメール、転院も知らせたが返信はなし。
考えると本当に心が辛くなる。これ今後危篤とかなくなっても音信不通なのであろうか。
とにかく会っても何も話さないので
気持ちが止まったままだ。
水原一平氏の表情に酷似してる。事が起こった後の困ったなみたいな顔は依存症なんだと思う。
夜は久々に旦那の手打ちうどん作りをした。肉汁だしを私が作るのだが面倒くさく、手打ちうどんの器具洗いも一苦労だからやだなあとか思っていた。
だけど食べたらすごく美味しかった。
面倒くさいことは美味しい。


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