働きすぎた老後の末路をさっちゃんに学ぶ その1 20231215

介護
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夜にさっちゃんがみんなの布団をしこうと切磋琢磨していた。
歩行がもともと困難だから
30分から1時間くらいかけてみんなの布団しきという運動をしている。

だいたい完成形にはならないので
手伝ってとさっちゃんは絶対言わないけど
私がそこに手伝いに入る。

布団敷きながら二人きりになるので
毎日だいたいおしゃべりする。
今日は体調どうだったとかデイサービスにこんな人がいたとかそんなはなしだ。

そんななか
さっちゃんが
「へたっぴーだからね、笑っちゃうよね」
と自分が布団敷くのがいつも下手だからという。

私が
「笑わないよ」
と言った。

そしたら
さっちゃんは
「でも心のなかでは笑ってるでしょ」
とぼそっと言った。

私は
「いやそんなふうに本当に思ったことないから」
と言った。

本当にそんなことは思ったことはなくて少し悲しかった。

むしろ身体動かすこと自体が大変なのによく諦めずにやっていると思っている。
それは中卒で80歳まで仕事をがんばって続けて培われたものなのかもしれない。
ガッツで生きてきた感がすごいなと思う。

しかし
その反面、仕事頑張り過ぎて
自分を大事にせずに生きてきたのかなとも思ってしまう。

寒い朝起きてきてすぐに何かすることないかと聞いてくるし
家事をしたがり、目の前に
何かする家事があると
それを制御しないとずっとパタパタやりはじめて止まらずにあとで疲れてしまってなりふりかまわず横になっていて大丈夫かな状態である。

年齢的にも朝起きたら少しゆっくりして自分の身体をいたわる習慣は必要なのではないかなと思う。
私が1日中目まぐるしく動いているから気を遣っているのかもしれない。
美容師さんという気を回す職業をしていたからかもしれない
家事はしたがるけど着替えはしたがらない。
とにかく水分を自分から全く取らないなどある。

働くこともまあ大事で勉強になることだけれども自分の身体と心のほうか大事であって、いたわる習慣は早いうちからつけたほうがいいと常日頃思うしそういう社会になって欲しい。

あと自分のファンが減ると音楽とか表現やめちゃうとかもったいない、初めは自分を楽しませるために始めたものが他者意識なって自分のためでなくなるのがおかしい。

違うエピソードだが
さっちゃんは私達の靴下の穴が空いているのを発見するとこっそりとって繕っている。
できることが限られてるからできることを存分にしたいさっちゃん。
ダーニング趣味にしたらいいのではと思ったりもするけど、
そんなさっちゃんに私とか旦那は運動にもなるからととくに気にしていなかった。

しかし
娘の靴下めっちゃ穴あきがいっぱいあって
常にさっちゃんが狙ってた。

でも娘はとにかくやらないでと怒っていた。

その時にさっちゃんが娘に言った言葉が
「あなた出来ないでしょ」
だった。

できるできないよりやらないでと言ってるのだからやらないでほしいである。
しかもできないからやったった感がうざい。

いつも喜ばれると思ってやったのにね、と言い余計なことをする。

誰かに喜ばれるかもと言うことを思いすぎるのはどうなのかなとかなり思う。

何かの役に立つとかのことばかりやりたがる。

老後は絶対自分だけで邁進できるような趣味があると絶対いいと確信する。

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