さっちゃんが亡くなるまでは色々整理処分しなければと思っていたが
亡くなってからはなんだかすべてが終わってしまうようで片づけが進まなくなってしまった。
歯ブラシも入歯もあったところにそのままで
洋服も見てはさっと引き出しをしめる。
目の前で弱って行く様子を見て過ごして
亡くなるのを確認したのに
まだ生きていた頃の記憶も鮮明で
死んだということがわからなくなってしまう。
親しい人、一緒に住んでいる人を亡くすという経験が私は初めてである。
単なる時間的なものなのではないかとか
完全には受け入れられないでいる。
とにかく明るい場所に行くと孤独を感じる。
かと言って暗い場所には行きたくはない。
そして故人のものを捨てられない人の気持ちがわかりだしてきている。
娘も、洗濯しても排泄物臭がちょっと残っているさっちゃんのズボンもレアだから捨てないでねといきなり言い出している。
今まであまりしなかったお花を飾りたいという気持ちは芽生えてきた。
これが弔うということ、死んでも何かしてあげたいという気持ちなのであるかなと思う。
さっちゃんを見送る気持ちと
自分の気持ちの整理のために
お花とお線香をあげる。
87歳で超高齢で亡くなってもやっぱり考えるとさみしい気持ちに包まれる毎日でなんとなく元気が出ないでいる。
そしてここ2年は特に
さっちゃんに気を遣って
お手伝いして暮らしていたので
そこがすっぽりなくなると
自分の一部が失われたような気もしてしまう。
そして反対に力をいっぱいもらっていたんだなと実感する。
そんな中で在宅介護、在宅看取りについて色々思った。
社会的にも今は在宅介護や在宅医療を進めていると聞く。
誰しも慣れ親しんだ場所や人と一緒にいたいという希望と医療費削減とのことらしい。
在宅介護した感想としては大変だけど得られるものもたくさんあって
死ぬということを知ったうえで生きるという体験ができたと思う。
私はたまたま在宅の医師や訪問看護の方々が
かなり親身になっていろんな話をしてくれる方で助かった。
それにより自分もがんばれた。
だけれども
在宅介護をできる環境にするということはけっこう難しいとも思う。
サービスをたくさん使っても
家族の負担はたくさんあると思う。
私はおむつ替えとか生理的に嫌とかはなくて他のこともそこまで嫌だということはなかった。
けれども介護度が上がるにつれて
介護に費やす時間が増えていくから
たくさん仕事をしているとやはり難しいことになる。
でも生まれてきたことをたくさんの人が祝って成長を助けたように
死ぬこともたくさんの人が関わって送り出すことも貴重な時間だ。
なので育児休暇も取るのも難しいけど
介護休暇とか看取休暇(ないかも)ももっと普及してほしいなと思った。
お金がないと生きていけない今は
仕事は生活するために必要だけれど
もはや何が起こるか分からない世の中で
考えて工夫して暮らすことの思考力は大事だ。
働きづめだと、利益や成果のほうの思考力
だけが育って
暮らしや命についての思考力が衰えてしまう。
介護は貴重な体験となると思う。


コメント