介護のよろこび 20230421

息子が、ブログの存在を知り読んでいたがとくに介護の部分がとても興味がないと言われた。

私にとってはいま一番の興味なので分からなかったが大多数の人にとっては介護イコール記憶がなくなってしまう、老いて何もできなくなってしまいみんなに迷惑をかけるもの、ぶち当たると厄介なものという認識であると思う。

老いて体や思考が不自由になるということは悲しくて怖いもので辛いというイメージが強いのは私もそうであった。

まだ母は介護1でいまはデイサービスに週二で通い、同居により食事や睡眠の管理が前よりもできていて、歩ける距離が増えたり排泄の失敗もなくなっていて元気になっているが、これから確実に進んでいくものだとは認識しなければならない。

しかし、実際に渦中にいる中で喜びも大きいことはたしかだ。
それはほんとテレビとか見てお菓子食べていることはひと味違った深い喜びである。

喜びひとつめ、
まず薬の調整ができてやめられて元気なのが嬉しい。

母は昨年まで一人暮らししていたときに毎月くらい、整形外科の医師が頼んでないが家に診察に来て、薬を大量に出していた。
診察に来てもらうのはありがたいことなのかもしれないが、睡眠薬も含めて大量に薬をだす、しかも内科ではなく整形外科だ。
一人暮らしの高齢者は特に薬の管理ままならないと思うのだがどこまで気にしてくれているのかわからない。
私が先生に問い合わせたところあまり話を聞いてくれない感じで母の体のことを考えているのか、薬大量に出せるお客との認識なのか、微妙な診察対応で正直怪しい人だと思った。

同居して内科に行ってまず、この年齢で睡眠薬はやめてくださいと言われ、血圧測って高い時だけ降圧薬飲んで試してみたが、結果全部やめていいとのことになった。
それから3ヶ月たち、血圧も図らずに薬も飲まないで食事をバランス良くとって、めまいとかはあるけどまずまず元気だ。
薬というものはどうこう良くなってる気がしない場合もあるし、薬が効いているのかって微妙なことも多いので考えて飲んだほうがよい。
とくに高齢だからなにかしら年季が入ってフルエンジンではいられないのだから体との調整が必要だ。

喜びふたつめ

ごはんを美味しいと言って食べてくれるのが嬉しい。

なんとなく家族のギクシャクがお家騒動など常にあるのだが、ごはんを一緒に食べるという行為はなんとなく浄化される。それが畑でとれたてとか、自然な食べ物であれば尚良いしなんとなく落ち着きを取り戻すことができる。

喜び他いろいろ

アルミの杖を丈夫なものに変えたら格段に歩きやすくなったこと

デイサービスの人とノートのようなものでやり取りしてて元気になったねとかを共有できること。保育園のようだ。

あとは今までゆっくり話ができなかったので母の家族の話、母が10人兄弟で唯一1番下の妹だけ高校にいったとか中学ではソフトボールしてたとか、スヌーピー知ってるって聞いたら知らないけど動物かなあと案外近い解答だったり、そんな些細なことがあとあとじんわり思い出になるんだろうなあと思う。

歯医者に通いだしたら歯みがきちゃんとするようになった。前はしたとか記憶違いが多かった気がする、自分のことを整えようという気持ちが出てきたのだ。

あとあと

主人も小3娘も認知症の人が見ている世界の漫画本を完読していて、娘は面白かったと言っていた。
理学療法士の川畑さんが施設で働いていて、一度も名前を呼ばれたことない人から数年後に久しぶりに会ったらどこ行ってたのと名前を呼ばれた話がお守りだと言っていた話が泣けるよね、とか主人がいってた。
あと、高齢者施設で暮らしている女性が夜に徘徊する理由が、元々看護婦で見回りしていた過去の夜が重なっているとか、
主人の靴の乾燥をしてあげようと思い食器乾燥機に入れちゃうとか、なんか少し感覚がずれてるだけなんだけど大きなことに繋がりかねないそんな感じエピソード満載だよねと話した。
なんとなく銭天堂彷彿させるような話だよねとか娘と盛り上がった。

介護の人と暮らすと今までに使っていなかった気遣いを使えるようになり、想像力がつくのは確かだとは思う。

想像力がつくと野生の勘がついて、良い流れ悪い流れがなんとなくわかるようになって、大丈夫と思って良い方向に行くように考えて行動すればお守りなくても良くなる気がする。

それでも予期せぬことは起こるだろうからそしたらまた考えを巡らせて解決を探りパワーアップする。

そんなこともかんがえた。

だからどんな辛そうな状況にある人でも苦しいだけではないのかなとは思う。

私はとりあえず孤独ではないから良い方だと思う、
けど、大変なときの孤独は深刻だと思うから
助けを呼んでいいんだという世の中になって欲しい。

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