さっちゃん在宅記録 42-44日目 亡くなるまで 20240926

介護
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42日目 9月24日(火)

気温が低くなる。
明らかにお母さんの体も冷たくなっている。
息はしていたけどお別れになるのが辛くて泣いていた。

訪問看護士さんから
血圧60くらいといわれ驚いた。
尿も朝と夜のみだった。

旦那がまた兄に連絡すると「仕事が立て込んでていけない。職場に電話しないで」と言われ
電話したことを後悔していた。

そのことを名古屋の知り合いに相談したら

「お兄さんは心が荒んで命の尊さに気づかず
人間の心を失いかけていると

残った私たちが怒りに囚われず過ごしていかなければ負の連鎖は止められません
お気を確かに、
いつでもここで吐き出してください」
と言われた。

それはメルカリの取引連絡だった。

優しい言葉かけに心を救われた。

夜に娘が
おばあちゃんを見ているのが辛いと
死なないでほしいと
わんわん泣いていた。

身近な人の体が弱っていく姿を見ることは
大人でも辛いのだけれど
そばで暮らす子供たちにはとても衝撃的なことだとは思っていた。

「ではおばあちゃんは私達にまかせて」
と私が言ったら

娘が
「私もおばあちゃんを応援する。
もう少し優しくすれば良かったという
後悔もある」
と言っていた。

43日目 9月25日(水)

旦那が兄の妻に電話するも忙しいからとすぐに電話を切られてしまう。

朝昼夕尿なし
ドクター診察、血圧50代で
今日明日くらいで呼吸停止するのてはないかと言われる。

浮腫もあるし点滴を外すことを勧められるが
少しでも入れたいと旦那が言うから
2日で500ミリペースで入れることにする。

心配で常に見ていることにしたら
ずっと目を開けている。

妹ともこおばさんがきて、
さっちゃん意識朦朧ながら
喜んでいる様子だった。

少し元気そうになったからまだ大丈夫かなとなんとなく思う。

ともこおばさんがみんなにお弁当を買ってきてくれてそれをベットのまわりでみんなで食べる。

夜に臭い便がでる。
臭いことに人間らしさを感じてうれしい。
なんだか希望を感じる。

もう1ヶ月以上点滴だけなので
便は防腐剤パラゾールの匂いのようなものだけであったからだ。

夜に酸素濃度が低くなったりしだす。看護士さん、事務の人経由でドクターとやり取りして
酸素濃度90切ったら4リットルにするとか
鼻吸引からマスクに変えるとか指示されて
泣きながら色々してみる。

そんななか少し落ち着いたので
寝ないのも大変なのでとりあえず寝て
2時間置きに息をしているか様子を見る。

たん吸引もする。

44日目 9月26日(木)

朝も臭い便が出ているようだ。
機能がまだ元気なのかなと思った。

ご飯を食べていて息子に学校に行くか聞くと
おばあちゃんの呼吸がおかしくて
心配だからいかないという。

見ると下顎呼吸で最後にかくっとする。
今まで見たことのない呼吸だった。

調べるとこれが始まるとだいたい数時間で亡くなるらしい。
だがさっちゃんの力を信じて長く生きられればいいなと思ってしまった。

たん吸引をして息子と一緒に体拭きとお着替えとクリームを塗ったりした。

その後やはりたまに息が止まることがありそれを声をかけて起こしたりして数時間後の午前11時に息が止まったと思われた。

最後の一瞬眉間にシワを寄せて苦しそうな顔をしたと旦那は言っていた。

その後娘は早退して帰ってきた。

看護士さんが来て頭を洗ったり
また娘と息子も
さっちゃんの手や足を洗ったりして
綺麗にするお手伝いをしてくれた。

その後娘は調理実習があるとのことで学校に行った。気持ち切替できるタイプである。

その後ドクターが来て12時34分死亡確認がなされてすぐに死亡届の書類を書いてくれた。

胆管炎やコロナ、その後肺炎にもなったけど病気的には回復したので話し合って
死因は老衰ということになった。

在宅のお医者さんと話すと10年前くらいから医療も変わってきているようだ。

ただ命を生かすだけの治療ということが見直されてきてその人がまずどうしたいか、家族がどうしたいかを対話するようになってきてると。
とくに在宅医療の場合は話し合いができる。

最後に家で一緒に過ごせた時間はとても貴重なものになった。

どうなるか心配でお互い苦しかったけど
ゆっくり過ごせて
最後までなんとなくユーモアのあるさっちゃんでした。

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