ここ2日連続でお母さんがスーパーのサミットで買った丸い券どこいったのかしらと探している。
もう少し聞いてみると200円の買い物できる丸い券をサミットで買ってあるとのこと、金券で珍しく丸。私の記憶としてはサミットには母と2回くらい行ったことあるが母は買い物はしたことがない。
どういうことかなと私がサミット、丸いというヒントからサミットで賞味期限間近に貼られるもぐもぐシールのことなのではないかと聞いてみると違うとのこと。
もう少し詳しく教えてくれる?となると
そのサミットで使える券は2000円に変化していて形はボールみたいな球体だと話している、そして黒くてくしゃくしゃしているとのこと。
古代のお金みたいな感じだろうか。
お母さん曰く早くあれを使いたい、子供にあげたいと言っている。
確かに最近地域振興券みたいなのは市からもらったけどね、
頭と夢とがごちゃごちゃしちゃったのか
この話には出口はなく浮いたままだ。
お母さんはとにかく誰かに何かをあげたい気質のイメージで、それは特に食べ物、身につけるものが多い。
長野の知り合いからりんごが送られてきたときもこれを誰と誰とにあげたいから取っといてとうるさかった、、、
もらう方はりんご2個とかもらってももらわなくても少し嬉しかったりなんとも思ってなかったりな感じだから家でも必要だし金銭的な余裕もないしいっぱいりんご食べたいから食べようよと私は言っていた。
あといまは贈り物ってなかなか何をあげてよいか相手に喜ばれるのかなと考えたり物を欲しくない人も多いし、悩んだりする。
おかんはとにかく誰かに何かをあげたがる人なので私は欲しくないものはいらない派なので少しうざったい気持ちでいた。
実家で書類を探しに行ったとき、母が借地権をもらった方の日記が出てきてそこには母が美容院で小さい子供から高齢の人まで、たまには愚痴を聞かされたりしながら町の美容師としてたくさんの人に愛されてにぎやかに過ごしている様子が記されていた。
確かに美容師として過ごしていた80歳までは凛としていた母は常に前向きで元気だった。
仕事をやめてからは足の不自由さと人との関わりが減りさらにコロナ禍、自分でどこまで感じていたかわからないが孤独感はかなりあったと思う。
母が住んでいたところの近所の人と連絡をとる機会があってSMSしてみると先生は元気かと言われ、先生とは誰ですかと聞くと母が美容師の先生でその方のお母様が介護状態でもお家に来て髪を切ってもらっていたと、よくお菓子を、たくさん持てないくらい貰っていたとのことだった。
近所の人は母のことを気にかけていて母が留守して居ないのを寂しく感じているようだった、、、
馴染みの人とか物とか出来事がなくなってしまうことは、その時はわからないけれどその時はうざったいとか思ってるものでもなくなってみると寂しいものだ。
そう思うと母からお菓子をもらうということは近所の人は欲しい欲しくないとかよりなんだかよくわからない温かい思いを受け取っていて嬉しく思うことだったのかな。
そう思うとなんだか自分がお母さんのものあげる癖に苛立っていたことが申し訳ない気持ちになり仕事中に涙が止まらなくなってしまった。
しかし、家に帰るとまた母がのーちゃんやえいちゃんにおやつを食べさせなきゃとか飲み物をだしたほうがいいのではないかとやいのやいの言っていてうるさく感じる日々と私があった、、、
完

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